こんな家族、あまり聞いたことがありません。
祖父、父、息子ともに優れた作曲家であり、それぞれが個性的で、かつ人々に愛される多くの楽曲を世に送り出している。
モーツァルト父子、J.シュトラウス父子、宮川泰父子など親子の例はありますが、三代続いてヒット・メーカーというのは、これはもうギネスものだと思います。
今回は、今まさに祖父、父の偉業を乗り越えんとする勢いで《倍返し》の活躍をしていらっしゃる作曲家 服部隆之氏の音楽の魅力に迫ってみたいと思います。
服部ブランドの後継者
隆之氏の祖父 服部良一氏は、昭和期における商業音楽や映画音楽の分野で先駆者的な活躍をされた方です。しかしその創作の幅は広く、オーケストラ作品やカンタータまで作曲されています。
中でも昭和歌謡を代表する作曲家として、「別れのブルース」「蘇州夜曲」などの日本人の心情を歌い込んだ作品やその反対側にある「一杯のコーヒーから」「東京ブギウギ」「銀座のカンカン娘」などの欧米のモダンな感覚をいち早く取り入れた作品群まで、バラエティに富む質の高い歌謡曲の世界を作り上げていかれました。戦後の焼け跡に疲弊する日本人に「青い山脈」で勇気と希望を与えたことは、特筆すべき功績でしょう。
私事ですが、私はまだ20代の頃バンドで藤山一郎さんの伴奏をさせて頂いたことがあります。背筋をピンと伸ばされ、正統派の美しい発声で歌われる姿を未だに覚えています。
父 服部克久氏は、高等学校卒業後パリの国立高等音楽院(Conservatoire de Paris)へ留学、昭和33年に帰国後は高度成長期の日本音楽メディアの最前線で活躍されてこられました。その活動はテレビ、ラジオ、ドラマ、アニメ、映画音楽など数多くの分野に渡っています。特に「音楽畑」シリーズは、克久氏の音楽世界がよく分かる録音集で、極めて多彩な音楽言語を操る氏の才能を垣間見ることができます。
そして隆之氏です。
父の克久氏と同様パリのコンセルヴァトワールで学ばれた後は、さだまさし氏のアレンジャーを皮切りに、日本商業音楽のほとんど全てと言ってよい分野に作品を提供されています。
最近では、TBS系列で放送され大ブームを呼んだ「半沢直樹」「ルーズヴェルト・ゲーム」、フジテレビ系列の「Hero(2nd)」etc.など、氏の音楽が流れない日はないのではないかと思う位に活躍されています。
ほんと、いつ寝ているんでしょう?
少し年上の宮川彬さんと同じく、親の七光りなど何の役にも立たない実力の世界で優れた仕事を続けられる隆之氏。
”服部ブランド”の真の後継者であることは間違いないと思います。
新撰組は新鮮だった!
少し寄り道ですが、
江戸幕府を作った徳川家康の思慮深さや計画の綿密性には度肝を抜かれます。
信長、秀吉に隷属したかに見せながら虎視眈々と爪を研ぎ、ついには自らが天下を取ったことはもちろんなのですが、江戸時代という260有余年の長期政権の基盤作りをやってのけた政治家としての力量には目を見張るものがあります。
その家康を祖父に持つ三代将軍家光は、ついには祖父を神格化し日光東照宮を建立しましたが祖父を超える業績は残せませんでした。行政改革にはバイタリティーが必要です。ややおとなしい性格の持ち主であったと言われている家光には、祖父の偉業は神の技だったのでしょう。
さて、服部家の三代目はどうでしょう。
私が最初に聴いた隆之氏の音楽はNHK大河ドラマ「新撰組!」でした。
何だろうこのエネルギッシュなサウンドは!!
そう思いました。
だいたい親や親族が優秀だと、凹むものですがこの人は違いました。
お爺ちゃんともお父さんとも違う、輪郭のくっきりと明確な、しなやかでかつ躍動的な存在感を持った楽曲群。
とても個性的な音楽です。ブラウン管(今は液晶と言うべきでしょうが)やFMラジオからは、今まで聞いたことのない新鮮な音楽。
また、一聴して何の曲か、誰が作った曲かがすぐ分かる音楽を書くということは、なかなかできることではありません。
隆之氏の音楽は、すぐに彼の作品と分かる独特の個性とフォルムを濃厚に持っています。
シリアスからバラエティまで
ワクワクして元気になれたり、シンフォニックな響きに酔わされたり、あれ これクラシック音楽だっけと勘違いさせるほど正統派だったり、小洒落たジャズだったりと隆之氏の作品は本当にバラエティに富んでいます。
パリのセレブなレストランで聞こえてくるフランス印象派の室内楽作品もあれば、ニューヨークのタイムズスクエアにうってつけのダンスナンバーも・・・。
結局、何でも書けるんですね!この人は。
大河ドラマ 新撰組! テーマ曲
力強く躍動する伴奏のリズム形と三度の平行和音の鋭角的な進行が、硬質で荒々しい新撰組の若者達を彷彿とさせます。
後半、短調に変わりテノールと合唱で歌われる部分は、アウフタクトの三連符系リズムを上手く使って次第にクライマックスを作り上げています。
華麗なる一族 メイン・テーマ
隆之氏、入魂の一曲です。
氏の持つ溢れんばかりのパッションとロマンティシズムが、瑞々しいばかりにスコアに実っています。類型で言えばラフマニノフかもしれませんが、明らかに隆之氏の語り口となっています。
ピアノで開始される緩徐部の旋律は、氏の持つ深い叙情性を示す好例です。
半沢直樹より Bonds
劇版では弦楽アンサンブルやピアノは多用されるのですが、木管アンサンブルを使う人はあまり多くありません。隆之氏は、木管楽器の使い方がとても巧いと思います。フランス近代の作曲家、プーランクやミヨーの様なエスプリを感じるのは、やはりコンセルヴァトワールで学ばれたからでしょうか。
ルーズヴェルトゲームより 白球に懸ける想い 〜 勝利に向かって
氏のメロディー・メーカーとしての資質を示す美しい曲です。「白球に懸ける想い」はハリウッド映画のサントラといってもよいアカデミックさを持った曲、「勝利に向かって」はスコットランド民謡のように素朴で飾り気のない旋律が美しい。
HEROより オープニング・テーマ
思わず外へ飛び出したくなる様な超ゴキゲンなナンバーです。隆之氏がサントラを書いたTVドラマには、挿入歌・主題歌がないものが多いと思いますがこれなら必要ないのがよく分かります。
トライアングルで「チキチー・チキチー」(オープンとクローズ奏法)と奏でられるサビでは、隆之氏の指揮姿が見えるようです。
フランス的なもの
隆之氏の作品を聴いていると、「ああ。フランスで作曲を学んだ人だな」と感じることがあります。
一番感じるのは、ルート(根音:和音の一番下を支える音)が自由だということです。
その逆が実は佐藤直己さんで、氏の音楽は、根音から積み上げられた極めて正統的な機能和声法に基づく作曲法が中心となっています。もちろんそうでない曲もたくさん作られていますし見事な作品群ですが、基本はそこに置かれているということです。
以前、音楽の友というクラシック雑誌を読んでいたら気になる記事を見つけました。
「フランス人は和声を上から書く、あるいは上から作曲する。」という一文でした。
うまく説明できなくて歯がゆいのですが、例えばフランス人作曲家の中でもどちらかというとドイツよりの伝統的な作曲法を行ったサン・サーンスでさえ、耳にすると透明で色彩感に溢れたフランス音楽以外の何物でもないのです。
ちょっと横道にそれますが、ベートーヴェンとモーツァルトでは和声の転回形の使い方が全く違います。転回形とは、三和音の三番目、五番目、(属7の和音では七番目)のどの音を和音の一番下に持ってくるかということです。
三番目が最低音にくれば第1転回形、五番目を第2転回形、七番目を第3転回形と言います。
モーツァルトがよく使ったのがこの1転、ベートーヴェンは2転や3転をよく使用しています。
第1転回形は、第2・第3と比べて比重が軽いというか、軽やかな響きになります。
モーツァルトの音楽が持つ軽快さの秘密は、転回形にもあるのです。
舵を戻します。
ベルリオーズの幻想交響曲も、フォーレのレクイエムも、また最たるものとしてドビュッシーの作品群もフランス的なエスプリに溢れています。
フランス人は、民族的にはアングロ・サクソンやゲルマン系ではなくラテン系だと言われています。
従って、ドイツ人のように最初からロジカルに作曲するのではなく、まず響きや旋律を色や光のように感覚的に発想し、それに和声や構成を肉付けしていくというプロセスで作曲しているのかもしれません。結果、ルートは自由な発想が行われることになります。
私には、隆之氏の作品にあるこのフランス的なものが、氏の音楽をとても魅力的なものにしていると思えてなりません。
倍返しの音楽を!
昨年のことですが、私共(河邊 一彦指揮:海上自衛隊東京音楽隊)の製作したCDが周囲の方々のご支援があって第55回日本レコード大賞企画賞を受賞致しました。
2013年もあとわずかという年の瀬、東京都新宿区初台にある新国立劇場で行われたレコード大賞収録の本番に出演させて頂いた時のことです。
本番終了後、音楽監督としてオーケストラの指揮にあたっていらっしゃった隆之氏に「お疲れさまでした!」と声をかけましたらとても柔和な笑顔で答えて頂きました。
「海上自衛隊の音楽隊の方ですね。私は航空自衛隊には作品を提供したことがあるんですが。」など
和やかにお話し頂いた後、握手をしてお別れしました。
とても柔らかくて、暖かい掌でした。
隆之氏も半沢直樹で企画賞を受賞されたのですが、あのドラマティックな音楽があの手から生まれたのだなと思いながら帰途についたのを覚えています。
次々にすぐれた作品を生み出される隆之氏。
今後も《倍返し》で我々に良い音楽を作ってください!!
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